2017年1月21日土曜日

佐藤一斎 言志晩録 第175条 心は現在なるを要す

【訳文】
  • 時刻は一刻一刻移り変って行くものであるが、われわれはいつでも心を現在の一刻に集中しておかなければならない。事柄がまだ出現しないのに、これを迎えることはできないし、また、過ぎ去った事を追いかけても追い付けない。わずかでも、過去を追ったり、来ない将来を迎えるということは、ともに、自己の本心を失っている状態である。


【下し文】
  • (こころ)(げん)(ざい)なるを(よう)す。(こと)(いま)(きた)らざるに、(むか)()からず。(こと)(すで)()けるに、()()からず。(わずか)()(わずか)(むか)うとも、便(すなわ)()(ほう)(しん)なり。


【原文】

  • 心要現在。事来未。不邀。事已往。不追。纔追纔邀。便是放心。


【語義】
  • 現在…自分の本心が自分に離れずに現存すること。
  • 未…将来のこと。
  • 邀…迎える。
  • 可…できない意味。
  • 放心…本心を放し失っていること。『孟子』告子上篇に、「学問の道は他なし、その放心を求むるのみ。」とある。


以上、「言志四録(三) 言志晩録」(佐藤一斎、訳注:川上正光、講談社学術文庫より)

0 件のコメント:

コメントを投稿